キャリー・トレードが活発であった2002年、2003年
1998年にロシア危機で、いくつものヘッジ・ファンドが危機に陥り、多くが解散に追い込まれた。 LTCM危機と呼ばれるほど金融市場に深刻な影響を与えたのは、米国のヘッジ・ファンドLTCMであった。それによる混乱が落ち着き、ヘッジ・ファンドが息を吹き返しだのは、2000年に入ってからであった。ヘッジ・ファンドに流人する資金が増大し、徐々にそのマネーが為替市場にも流人してきた。
また2002年、2003年には、地政学的リスクの増大や中国などの新興国での経済拡大を受けてコモデイテイー価格が上昇し、また、ニュージーランド、カナダ、南ア、豪州などの金利が上昇したのに対して、米国、日本、そしてスイスでの金利は低いままにとどまった。このために、キャリー・トレードが行える環境が整った。また、2002年頃には、機関投資家がカレンシー・オーバーレイを活発化させ始めた。機関投資家の多くもキャリー・トレードを行うようになった。
BISの3年ごとの統計によると、2001年4月と2004年4月の3年間の間での豪ドルとニュージーランド・ドルなどの取引量が急拡大し、その主因がキャリー・トレードであったことが示されている(BISレポート、2005年、第75回レポート)。
同時に、この2002年から2003年にかけて、高金利通貨が大きく上昇したことが示されるが、これもヘッジ・ファンド、CTA、機関投資家、あるいは企業などがキャリー・トレードを実行したからに他ならない。ここでは、運用通貨として、豪ドル、ニュージーランド・ドル、ノルウェイ・クローネ、英ポンド、加ドルや南ア・ランドが使用された。これに対して、借入通貨としては日本円やスイスフランが使用された。この年、日本円やスイスフランは伸び悩んだ。
この期間でのキャリー・トレードの事実に関しては、BOE等のレポートに、次のようなキャリー・トレードの記述が見られた。
・「2003年5月7日のGBP/JPYの急落はキャリー・トレードのポジション解消売りであった」(BOEの四半期報告、2003年夏号)
・「2003年10月の豪ドルと英ポンドの上昇はキャリー・トレード」(BOEの四半期報告、2003年冬号)
・「ヘッジ・ファンドのリターンもキャリー・トレードのパフォーマンスに連動しているという報告があった」(BIS、75thレポート)